神仏習合の名残りを留める三重塔

日吉神社の三重塔

 日吉神社境内にある国の重要文化財の三重塔は、収蔵庫にある重要文化財の十一面観音坐像・地蔵菩薩坐像、本殿前にある県重要有形民俗文化財の百八燈明台などとともに、現在も神仏習合の名残りを留めている。

 この三重塔は、室町時代後期の永正年間(1504年~1521年)に斎藤利綱(としつな、守護代斎藤家の一族、室町・戦国時代の武将、歌人)によって建立されたと伝えられている。その後、天正13年(1585年)稲葉一鉄(戦国・安土桃山時代の武将)が修造したことが現存する棟札で知られる。江戸時代の文政5年(1822年)に修理が行われ、明治になってからも明治24年(1891年)の濃尾地震で相輪(棟の最上部にある金属で作られている部分)に被害が生じ、明治30年(1897年)に修理を行った。

 大正13年(1924年)4月17日、文部省告示第85号で古社寺保存法第4条の「特別保護建造物」としての指定を受けた。この時の指定説明によると、「斗栱(ときょう、建築物の柱上にあって軒を支える部分)其他ノ手法頗(すこぶ)ル雄大ナリ」とあり、構造形式は「三間三層塔婆、杮葺(こけらぶき、木材を細長く削りとった板で葺いた屋根)」としている。なお、昭和4年(1929年)に国宝保存法ができると、「特別保護建造物」は「国宝」となり、さらに、昭和25年文化財保護法が制定され、「重要文化財」となった。

 昭和17年から21年にかけて国庫補助による半解体修理が行われ、その際屋根が檜皮葺(ひわだぶき、檜(ひのき)の樹皮で葺いた屋根)に改められた。その後、昭和36年屋根葺替修理、37年災害復旧による部品修理、平成6年(1994年)左義長の時の火災による被害修理、11年には前年の台風7号による被害修理、そして22年の落雷による被害修理、このように多くの災害を乗り越え、人々の努力によって三重塔は歴史遺産として現在に伝えられている。〈小川和英〉